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2005年02月27日

肩こり

昼寝から起きると、肩がなんか重い。しばらく潜めていた肩こりが復活したかと、とりあえずシップを張ってみた。

ここ2〜3年、ボクは肩こり派なのだ。これはプログラマの宿命といえるが、いっぽうでべつに肩こりでもないプログラマもいるようなので、たぶんボクの問題だ。これはたぶんボクのヒキコモリ体質と無関係ではない。維持していた体重も、近頃増加傾向だ。この体質を積極的に改善するつもりはないが(謎)、肩こりはかなわないのでなんとかしたい。

とはいえ以前ひどい肩こりに悩んでいたとき、近くの病院でシップをもらってきてそれを張ったら1日でなおった。こういうことが2回ほどあったので、じつはあんまり深刻には考えてはいない。のだけど、やっぱり普段の生活態度を改善しないとダメだろうなあ。。

最近会社で「ラジオ体操の時間」ができて、みんなでラジオ体操していて、わりといい感じだなあとおもってはいたけど、あんまり効果はなかったようだ。無念。

投稿者 osa : 22:31 | コメント (8)

2005年02月26日

Pet Sounds : The Beach Boys

Pet Sounds : The Beach Boysを聴いた。ビックらこいてたまげた。これはものすごいアルバムだ。

いろんな記事や文章を通じてこのアルバムがすごいことは聞いていた。「唯一完全が証明されたアルバム」という、ゲーデルの不完全性定理も真っ青な評もあった。で、聴いてみたのだけど、まさしくすごかった。1曲目のWould't it be niceからしてすごかった。コード進行・アレンジ・コーラスすべてがなんかすごい。そしてメロディがとても悲しく美しい。むむう。

The Beach Boysというと、サーフィンなイメイジしかなかったのだけど、このアルバムが転換期となったらしい。当時はあまりの変わりように、ファンは戸惑い、このアルバムは売れなかったらしい。しかし、今は、皆大絶賛。

ただ、なんか音質悪すぎ。あと、やたら深いエコーだけはいまいち好みになれなかった。それ以外は完全。

投稿者 osa : 16:03 | コメント (0)

プレイやん

近頃すこし上向きになってきたし、きのうは給料日だったということで、今日は2ヶ月ぶりに梅田にいってみた。久々の大阪駅は、すこし構造と装飾が変わっていた。迷いそうだ。。

ヨドバシカメラでSDカードとそのライタを買う。月曜日にかねてより注文していた「プレイやん」が届いていたのだけど、SDカードがないので遊べなかったのだ。「プレイやん」はSDカードに記録されたmp3や動画をDSでみられるというもので、どんな感じで表示されるのかとても気になっていた。

あとはタワレコでCDを2枚買った。

さて、家にかえって早速「プレイやん」を試してみた。まず手持ちのmp3を再生させてみたところ、とても音質がよくびっくりした。「プレイやん」のカートリッジにフォンジャックがついていて、そこから音を拾うと、とてもいい音だ。スピーカーで聞くと音質はわろし。

つぎに動画ファイルを再生させてみようと、手持ちのwmvファイルを付属ソフトで変換しようとした。・・・・ら、なぜかすべて変換に失敗する。1時間ほど試行錯誤した挙句、あきらめようとしたらなぜか変換に成功した。よくわからん。

肝心の画質はというと、まぁまぁいい感じだ。携帯だし、圧縮だしこんなもんだろうといったところだ。ボクは画像収集マニア系ではないので、画質とかエンコードについてはあんまり知らないし、あんまりこだわらない。それよりも動画再生時は音声がモノラルになるという仕様のほうが悲しい。

おもったよりも携帯機で動画がみることは楽しいことがわかった。以前から携帯機で動画なんてみても楽しくないと思い込んでいたのだけど、寝転がりながらみたりできていい感じだ。このことを考えると、PSPは結構うまいところを狙ったかもしれない。

でも、現状では実際にこれで動画みまくりの活用しまくりという気分にはならない。なにせ動画ファイルを作るのがひたすらめんどくさいのだ。iTuneみたいに、ささっと動画吸い込んでぱっと書き込めるようになったら、また状況も変わるだろうケド。

投稿者 osa : 15:48 | コメント (0)

2005年02月23日

マンガ

ノー残業デーなので、帰りに本屋によってみると「蒼天航路33巻」がでていたので即買い。三国志を題材にしたこのマンガも連載開始から10年がたつところだ。昨夏、モーニング紙上で「年内完結」とあったのでどきどきしてたのだけど、まだ続いてるようだ。ボクの幻だったのか?

当初のキャッチフレーズは「衝撃のネオ三国志」。友人に進められて読み出したのだけど、登場人物がとても魅力的で、かっちょいい。そこには悪役も善人役もなく、ひたすらに乱世を生きているのだ。横山光輝の「三国志」が名著であることはたしかだけど、いちど蒼天航路の魅力に取り付かれてしまうと、横山三国志のテンポにはもうなじめない。。

実際、三国志の時代はすさまじい。三国志前夜、後漢の最盛期では人口は6000万を数えていたが、三国時代の幕開け頃には500万ほどになっていたという。もちろん戸籍上なので、戸籍に乗ってない人も相当数いたらしいが、中原は無人化したという。そんな時代に生きる人が、後世の尺度ではかれるはずがないなあと、この蒼天航路は気づかせてくれる。

で、そんな時代においても「超世の傑」といわれた曹操がこのマンガの主人公なのだけど、これまたとても魅力的だ。彼のとった数々の施策は-後世からみると気づかないが-超世的であることに気づく。そんな曹操にせまりせまって、おいこしてしまった(謎)のが、この蒼天航路だといえよう。

願わくばずっと続いてほしいものの、どうやら完結は近そうだ。最後にどんな展開になるのか楽しみだ。

投稿者 osa : 20:29 | コメント (0)

2005年02月19日

究極のシンセ?

シンセサイザー欲しいなあ。。という憧れを抱いて12年はたつ今日この頃。懐具合とか、スペースの問題とかでいまだにシンセサイザーをもってない。けども、その動向だけはいつも追っているのだ。で、korgからOASYSというシンセが発表されたらしい。なんでも究極のシンセらしい。

スペックをみて、なんかパソコンに鍵盤がついただけのような気がして萎えた。しかも、価格は8499$らしい。一桁間違ってるだろう。。たしかに機能は盛りだくさんで、いい音が出るだろうし柔軟性もあるんだけど、商品としてまったく魅力を感じない。商品としての魅力は、デザインやらブランドやらが斬新さやらもあるが、基本的には機能と価格のバランスが重要だ。こういった驚きとか納得がこの製品にはまったくない。なんか、なんでもつけましたって感じしかしないのだ。。

このシンセとおなじようなことは、パソコンといくらかのソフトがあれば実現できてしまうのだ。それをわざわざ8499$で鍵盤で再現してなにになるというのだろう。korgってもっとセンスのある製品を開発する会社だと思ってたのに。。

投稿者 osa : 23:59 | コメント (0)

2005年02月16日

2月16日

26歳になった。昔から友人と25になったら独立して会社をおこそうと約束していたのだけど、ずるずる年を取ってはのびのびになってる感じだ。まあ、すこしくらい(20年くらい?)遅れてもかまわないだろう。わが社の人気キャラクタの某ひげ親父も、設定上は26歳なのだそうで、とうとう同い年になってしまったのだ。子供のころは、あのひげ親父と同い年になる日が来るなんて、夢想だにしなかったよ。なんか年をとるのがどうでもいいやという気分と、直視したくないという気分でいると、あっというまに20代も後半に突入だ。

なにゆえ年をとることを直視したくないのか?ちかごろなんとなく自分の得意なこと不得意なことが見えてきつつあるからだ。もっと嫌な言葉でいうと、自分の限界の一端があのへんにあるんではないかなあという感覚をもってしまうときがあるのだ。なんかそういうこともわからないときは、なんとなくやってみたらできたりするものなのだけど、そういう冒険をすることにたいしてひどく億劫になりつつあるのがやな感じだ。と自覚してるだけまだ救いはあるかもしれないケド。もっとも、経験を積むにつれ、以前はおもいもよらなかったことができるようになったりしていることもまた自覚しているので、年を取ることもけして悪いことばかりではない。

こうしたことを考えていると、もうこの年になると、たくさんあると思っていた自分の武器のうち、実際に使えるのはそうたくさんはないことに気づく。なので、今後はその少ない武器をひたすら磨かないとならない。そのことに環境があっていないのなら、環境にあわせるのではなく、環境を変えていく必要がある。というわけで、最近のマイキーワードは、本田宗一郎さんの「得手に帆を揚げて」だ。つまり、自分の適した方向に帆をあげようということだ。どうやら大成した人は例外なくこれに成功しているようだと最近気づいた(遅)。

で、いまの仕事は-ボクの主観では-得手に風が吹いていない。もちろん風向きはかわる可能性もあるので、全力で風をこっちに向けるようにしたいと考える今日この頃だ。もしそれができないのであれば、必然的に自分か会社のどちらかに見切りをつけることになるだろう。もしくはその中間というなんだかよくわからない、でもなんか居心地良さそうなポジションを見つけるかだ(謎)。

などと、気合いを入れて考えているのも、やっぱり年をくっていく恐怖への裏返しなのだ。なにしろサラリーマンというのはひたすら居心地が良い。。すこしく不満を抑えていれば丸く収まってしまうし、べつだん人生を賭けるほどのことに手をだそうとする気にもならない。こんなことで、なにか新しいことを考えたりつくったりできるのだろうかというのが最近のテーマなのだ。

サラリーマンでもすばらしい創造や成果を残した人はたくさんいる。ようはこころのもちようだとおもうので、なんとなーく毎日を過ごしてくうちにそうしたことを忘れたくないなあと、1年に1度くらいおもいだすのもいいだろう。とおもった。

投稿者 osa : 20:34 | コメント (2)

2005年02月12日

なぜオブジェクト指向か

いつもみてるブログなぜオブジェクト指向かという記事があったので、ボクもなぜオブジェクト指向か考えてみた。たまにはここは技術系プログラマによるブログだということを再確認しなくてはならない(謎)。

以前たまたま読んだ、結城浩さんの2004年7月4日の日記の、

そのように「共通なところは何か」「違うところは何か」を考えてプログラミングする。共通なところは全部共通なプログラムにする。

という一文に大衝撃をうけた。オブジェクト指向の重要な点はこれだと、ようやく理解した。それにしてもなんたる英才教育。。プログラミングにおいて重要なのは、共通部分を共通なプログラムにすることであり、オブジェクト指向はそれを意識して設計できるのがいいところなのだ。だから、共通部分のすくないようなところではあまり意味がなく、オブジェクト指向は戦場では必要なしというのも一理ある。とはいえほとんどのプログラムにはなんらかの共通点があるものだ。

ボクはだめぽプログラマであるので、ながらくオブジェクト指向がなんの役に立つかわからなかったし、いまも完全には理解できていない。それはどうやらC++をずっと使ってことに原因があり、最近Small TalkやRubyを触れてみてようやくその一端をつかんだ感じだ。よくオブジェクト指向の特徴で「データの隠蔽」「カプセル化」などがいわれるが、これらは副次的なもので、本質的なものではないんでないかと思うようになった。こういった解説と、C++のとってつけたようなオブジェクト指向がボクの理解を妨げていたのだ(たぶん)。

さて、オブジェクト指向プログラミングが構造を抽象化するものだとしたら、処理を抽象化するのがジェネリックプログラミングだろう。しかし、残念ながらボクはジェネリックプログラムをまったく理解しておらず、使いこなせるようになるにはあと5年はかかりそうだ。そもそもボクにはC++のテンプレートの記法がノイズにしか見えないのだ(謎)。。

オブジェクト指向プログラミングとジェネリックプログミングに関してはSmall Talkがすばらしい。C++やJavaにあるこれらの機能は、なんだかとって付けたようにしかみえないが、Small Talkではとても自然にこのふたつが融合している。だからだめぽプログラマなボクもここではなんとか救われる。Small Talkを開発したアランケイは、-おそらく彼の分子生物学の知識からのアナロジーで-、それぞれ共通点をもち、かつそれぞれ差異をもつようなオブジェクト同士がたがいにやりとりするようなシステムを構築しようと考え、そのためにオブジェクト指向を選択したようだ。たしかにこのようなシステムにはオブジェクト指向はうってつけだ。

ところで、オブジェクト指向の「クラス」と「インスタンス」という考え方は、なんとなくプラトンの「イデア」説がもとになっているのではないかと思っていた。西洋人のこうした思考方法が、脈々と積み重なってオブジェクト指向を生み出したのだとしたら、ちょっといい話だ(適当)。そうすると、対象を対象としてみる東洋的な考え方からは、オブジェクト指向は理解しにくい。ボクがオブジェクト指向を理解するのに苦しんでいるのもだからなのだ。と強引に結論付ける。

投稿者 osa : 10:09 | コメント (2)

2005年02月11日

建国記念日

今日は休日。日がな一日家でぼーっとすごした。ところで、どうやら前回のCELLに反応した人が1000とりを目指してF5連打したようだ。。

休日なのは建国記念の日だからだ。この日は何の日かというと、紀元前660年に神武天皇が橿原神宮で即位した日だとされている。とはいえ、このことは全面的に事実ではないだろう。神武天皇が橿原神宮で即位したのは事実な可能性はあるが、紀元前660年というのは無理がある。最近、弥生時代のはじまりが実はもっと古かったんじゃないかといわれているが、それでも縄文晩期に分類される。この紀元前660年というのは、中国の暦からしてとても縁起のいいものだからこうしたという説があり、たぶんそうなのだろう。古事記や日本書紀では年代のつじつまをあわせるために、古代の天皇たちの寿命がやたらながい(160歳とかね)。

一時期古代史にはまっていたので、ボクはこういった話しが大好きだ。そもそも古事記などは普通に物語としておもしろい。九州のヒムカというところにいた神武天皇が数年かけて近畿地方まで遠征し、いったん河内で負けたので熊野地方までまわりこんでそこから大和に侵入したとかいうくだりは、そのへんのファンタジー小説よりはよっぽどスリリングだ。で、橿原あたりまできて、そこがいい場所だ。。ということでそこを都に定めたという。

ところで、そのとき大和にはすでにニギハヤヒという人がいて、統治していたという。古事記などでは、ニギハヤヒはどこからか大和にやってきたとあり、神武と同族だったポイ記述もある。ちなみにニギハヤヒにはナガスネヒコという家来がいて、これはどうやら古くから大和に土着してた勢力らしい。というわけで、神武伝説は実は同族内の内紛・内乱だったんじゃないかという人もいる。神話の時代でもずいぶんと人間臭いのだ。

ごく個人的には日本の建国はこのときというよりは、西暦670年前後の壬申の乱後に建国が完成したのだとおもっている。つまり、聖徳太子のあたりから中国から独立しようという建国運動が始まって、大化の改新、白村江などの混乱がありつつ、壬申の乱後あたりが日本国のなりたちであるとおもうのだ。事実、日本国という国名が使われだしたのはこのときがはじめてだ。それまでの日本列島は倭国と総称されていたが、地域ごとに豪族が割拠していて、国としてのまとまりがあったのかどうかは疑問だ。それが聖徳太子のころから徐々に統一・統制が完成していったというのが妥当かなあと考えている。が、当時の政府は正当性を主張するために、古くからずっと統治してきたということをでっちあげるために、古事記や日本書紀などを作成し、建国紀元を遠い昔にもってきたのだろう。

ということで、日本史上でもっとも重要な人物は聖徳太子だ。彼のグランドデザインに従って日本という概念は出来上がったし、いまもその影響はとても強い。そもそも日本という国名からして、これは地名でも人名でもなんでもなく、あきらかに中国からの独立を意識したもので、政治的なにおいがするのだ。

そんなことをぼーっと妄想しながら建国記念日をすごした。

投稿者 osa : 23:09 | コメント (2)

2005年02月09日

CELL登場

ついにCellが登場
らしい。残念ながら、ボクはCPU界の事情とかには詳しくないし興味もないので、あんまり驚きも失望もない。のではあるけど、やはり興味あるニュースだ。

CPUの構成についてはあらかじめ伝え聞いていたものでそんなに意表はつかれなかった。メインプロセッサ+8個のサブプロセッサというのはなかなかに興味深い。ゲーム機でサブプロセッサをなにに使うのかはいまいち謎ではあるけど(そもそもどんなサブプロセッサかも現時点では謎だ)。そもそもCELLは汎用プロセッサだとされているから、そのへんはまああんまり深く考えても仕方ない。PS3にはサブプロセッサがいくつ載るのかはわからないけど、もし1つとか2つとかならPS3は単純にPS2のパワーアップ版くらいのイメージだなあ。。もし8個載ってたりしたら、、もう革命的なゲイム機になりそうだ(適当)。

ゲーム機用途として意識されているようにおもえるのは、周囲のI/Oやメモリとの高速なバスだろう。往々にしてゲイム機においてはCPUの速度よりはバスの速度がネックになりがちだということを考えると、このあたりはいかにもゲームを意識してそうだ。しかし、ボク的にはゲーム機としてどうかはGPUをみるまでは意見保留だ。

ただ、ここで気になるのが、GPUを作ってるのがnVidiaだということだ。性能はともかく、爆音は勘弁していただきたい。ただでさえ廉価版PS2のうるささにはもう辟易だ(あれでもAV機器かね)。。。ただ、nVidiaが開発ということで、ゲーム会社はCgシェーダ作成のための手厚いサポートが受けられるだろう(適当)。シェーダ時代になって、ゲーム会社の構造がどう変わるかはなかなか見ものだ。

とはいえ、なんかやっぱり技術者的には、ちょっとドキドキするよ。こんなCPUでプログラム書いてみたい。ねえそうでしょ?(誰に聞いてるんだ)

あと、関係ないけどマッキントッシュにCELLとか載ると面白いなあ。サブプロセッサで音楽製作のエフェクト、たとえばVSTプラグインの処理とかできたり、フォトショップとかMotionのエフェクト計算ができたりしたら、なんかすんごいいいマシンになりそうな気がするYO。どうですか?(誰に聞いてるんだ)

投稿者 osa : 21:10 | コメント (0)

司馬遼太郎が考えたこと3:司馬遼太郎

司馬遼太郎が考えたこと3を読んだ。感想はあとで書く。

投稿者 osa : 21:07 | コメント (0)

スタイルシートなど

このページのスタイルシートを替えてみた。

ボクはhtml暦がずいぶん長い。はじめてhtmlを書いたのは1995年だったはずだ。当初はワードでhtmlを書いていたが、あまりのワードの理不尽な挙動に辟易し、それいらいhtmlエディタを信用せずに手でhtmlを書いてきたのだ。

余談だが、1993年-1995年当時はウエブの出始めのころだ。新聞に「ホームページを作って自己紹介をしていた学生がいて、そのページをみた企業の人が「こんな積極的に自分を発信できるひとならぜひわが社に欲しい」といってきた」とかいう、いまから考えたらあほらしいことこの上ないことが、ニュースとして掲載されてたくらいだ。ボクもはじめて高専のサーヴァにhtmlファイル置いたとき、「こ、このファイルは世界中のどこからかみられてるかもしれない」とドキドキしてた記憶があるよ。。

で、html暦が長いのではあるが、別にhtmlの進歩に歩みを合わせたわけではなく、ボクのhtmlに関する知識はほとんど進歩せず、10個くらいのタグを知ってるにすぎない。

しかし!!ここ最近、やたらとこぎれいなページが個人ページが増えてきた。これらがスタイルシートを使っていると知ったのは、つい半年くらい前だ(遅)。ブログのデザインもデフォルトのままではアレなので、ちょっとスタイルシートをいじってみることにしたのだ。

いじってみると、おもってたほどはめんどくさくないし、表現力もなかなかのものだ。なかなか楽しい。というわけで、今後はスタイルシートをもうちょっと活用していこう。とおもった。

投稿者 osa : 20:53 | コメント (2)

2005年02月05日

三人

司馬遼太郎のエッセイを読んでいたらいい文章があった。「今こそ必要なアマチュア精神」というものだ。ちょっと長いけど、引用したい。昭和41年に書かれたものだ。

最近はほんとうに”日本映画”を見ないようになりました。その点、少しはおつきあいのある映画界の人たちに、なんとなく悪い気がしているんです。大げさにいうなら、日本人として忸怩たる想いにかられているんだが、たまに”日本映画”をのぞいても、時間のロス以外の何物でもないことが多いんですね。いい作品もあるらしいんですが、どうも、そういう先入観があって、つい”日本映画”には足が遠のいてしまう。
ある。しかし、別に氏は映画そのものが嫌になった訳ではなく
そのかわりというとお気の毒な話なんですが、"外国映画"の評判作はセッセと見にいく。そのたびに、やはり映画というものは娯楽の中で最高にゼイ沢なものだ-と感心してしまうんです。

だそうだ。ここから

なぜ、日本の映画産業は過去の”栄光”の座から滑り落ちてしまったのか?

と疑問を提示する。そして氏の答えは
映画人のいわゆる”クロウト意識”というやつが、その張本人だと僕は思うんです。映画界が再興するためには、最もよき”アマチュアリズム”が必要だ。純然たるアマチュア精神こそが、映画界を救うと断言してもいいですよ。

とある。ここで、その”クロウト意識”や”アマチュアリズム”が具体的にどうなのかは触れられてはいない。しかし、当時の日本映画界の状況-大企業のシステムとしてしか映画が企画・作成されない状況-がうみだすもろもろの結果を示しているのだろう。
「いい映画を見たい」という欲求は、誰しもが抱いている。ですから、単純なことですが”いい映画”さえ製作していたら、下手な宣伝なんかしなくとも、お客さんは来てくれる。"いい映画"をこしらえるにはドウしたらいいのか。何が、”いい映画”の製作を妨げているのか?それをもういっぺん”アマチュア”の意識に還って考えなければいけない。

とある。もちろん効果的な宣伝は重要ではあるが、氏のいうことの重要性がいまも薄れるものではないだろう。
ぼくは極端な話しかも知れませんが”映画”というものはプロデューサと、監督と、シナリオライターの三人がいればできると思っています。この三人が「これは面白いぞ」と思ったら、会議で検討するなんていう回りくどいことはやめて、とにかく、やりはじめたらいいんですよ。何だ彼だとクチバシなんか容れさせないで、最小限のスタッフが”面白い”と思ったテーマを貫いていったら、絶対にその”映画”はヒットする。これは方程式でもなんでもないんで、小学生にも判る”足し算”なんだ。

そう。評価はあとからついてくるものだ。。

ぼくはいまの映画界が一度つぶれてしまって、その廃墟の中から"三人の仲間"のような最小限の製作グループが洗われてきたときこそ、ほんとうに映画産業が立ち直るときだと思うんです。

現在の映画人たちが「もう映画の時代は過ぎてしまった」などと自嘲の言をはいているのは、ぼくにいわせるならばとんでもない話しで、むしろ”映画”の時代はこれからやってくると信じているのです。

この文章から30年。アメリカ映画はあいかわらず繁栄しているし、日本映画は-アニメーションという新しい分野の隆盛を含めて-復活した。そもそも映画業界の停滞がなぜおこったのか考えてみると、「観客はより楽しくて豪華な映画をみる」→「ハリウッドはより楽しくて豪華な映画をつくる」→「製作技術・制作費の高騰」→「企業はリスクをとらない方向に動く」→「無難な映画」→「観客がこない」→「次回作の制作費がおさえられる」→「観客がこない」といった感じだと考えられる。

ハリウッドの偉いところは、製作技術・制作費の高騰に対してそれに対応できる人材と集金システムを構築してしまったことだとおもふ(なんだか最近はそれも悪循環に陥っているぽいが。リメイクと続編ばっかりだし)。つまり

よき製作グループが出現さえすれば、自然とそうした部門のベテランたちが集まってきて、理想的なシステムが出来上がるんじゃないだろうか。

というループが存在してたのだ。というわけで司馬遼太郎の映画に対する指摘は、基本的に間違っていないし、現在に生きるボクらにもなにやら暗示的なことだ。

投稿者 osa : 11:33 | コメント (0)

2005年02月02日

aoe ds

age of empireがDSにくるらしい。情報源は小売店のウエブだそうなのですこし不確かかもしれない。

とはいえ、これはとても楽しみだ。AOEシリーズのようなシミュレーションゲームは、パソコンで遊ぶこと前提のインターフェイスで、家庭用であまり遊びやすいとはいえなかったが、DSはそうではないからだ。DSのインターフェイスはそうしたシミュレーションゲームとかに結構向いてるかもしれない。「信長」とか「三国志」とかもDSで遊ぶと楽しいかもしれないなあとおもう今日この頃。

しかしマニア的には期待半分で、あと半分はいくつかの不安だ。なにより開発会社がemsembleではない?のが気になる。手を抜いた劣化移植とか勘弁してチョね。

投稿者 osa : 23:03 | コメント (0)