« CELL登場 | メイン | なぜオブジェクト指向か »

2005年02月11日

建国記念日

今日は休日。日がな一日家でぼーっとすごした。ところで、どうやら前回のCELLに反応した人が1000とりを目指してF5連打したようだ。。

休日なのは建国記念の日だからだ。この日は何の日かというと、紀元前660年に神武天皇が橿原神宮で即位した日だとされている。とはいえ、このことは全面的に事実ではないだろう。神武天皇が橿原神宮で即位したのは事実な可能性はあるが、紀元前660年というのは無理がある。最近、弥生時代のはじまりが実はもっと古かったんじゃないかといわれているが、それでも縄文晩期に分類される。この紀元前660年というのは、中国の暦からしてとても縁起のいいものだからこうしたという説があり、たぶんそうなのだろう。古事記や日本書紀では年代のつじつまをあわせるために、古代の天皇たちの寿命がやたらながい(160歳とかね)。

一時期古代史にはまっていたので、ボクはこういった話しが大好きだ。そもそも古事記などは普通に物語としておもしろい。九州のヒムカというところにいた神武天皇が数年かけて近畿地方まで遠征し、いったん河内で負けたので熊野地方までまわりこんでそこから大和に侵入したとかいうくだりは、そのへんのファンタジー小説よりはよっぽどスリリングだ。で、橿原あたりまできて、そこがいい場所だ。。ということでそこを都に定めたという。

ところで、そのとき大和にはすでにニギハヤヒという人がいて、統治していたという。古事記などでは、ニギハヤヒはどこからか大和にやってきたとあり、神武と同族だったポイ記述もある。ちなみにニギハヤヒにはナガスネヒコという家来がいて、これはどうやら古くから大和に土着してた勢力らしい。というわけで、神武伝説は実は同族内の内紛・内乱だったんじゃないかという人もいる。神話の時代でもずいぶんと人間臭いのだ。

ごく個人的には日本の建国はこのときというよりは、西暦670年前後の壬申の乱後に建国が完成したのだとおもっている。つまり、聖徳太子のあたりから中国から独立しようという建国運動が始まって、大化の改新、白村江などの混乱がありつつ、壬申の乱後あたりが日本国のなりたちであるとおもうのだ。事実、日本国という国名が使われだしたのはこのときがはじめてだ。それまでの日本列島は倭国と総称されていたが、地域ごとに豪族が割拠していて、国としてのまとまりがあったのかどうかは疑問だ。それが聖徳太子のころから徐々に統一・統制が完成していったというのが妥当かなあと考えている。が、当時の政府は正当性を主張するために、古くからずっと統治してきたということをでっちあげるために、古事記や日本書紀などを作成し、建国紀元を遠い昔にもってきたのだろう。

ということで、日本史上でもっとも重要な人物は聖徳太子だ。彼のグランドデザインに従って日本という概念は出来上がったし、いまもその影響はとても強い。そもそも日本という国名からして、これは地名でも人名でもなんでもなく、あきらかに中国からの独立を意識したもので、政治的なにおいがするのだ。

そんなことをぼーっと妄想しながら建国記念日をすごした。

投稿者 osa : 2005年02月11日 23:09

コメント

ごめん、CELLとは無関係・・・

投稿者 う : 2005年02月12日 00:17

いえいえ。1000GETおめでとうございます。商品は特にありませんが。。

# てっきりCELLに逆上していたのかと(謎)

投稿者 osa : 2005年02月12日 10:08

コメントしてください




保存しますか?