2007年04月01日

エメリービル到着!

16:00に終点エメリビルにつく予定だったが、夜中になってもまだまだつかない。さすがにちょっと疲れてきた。

うとうとしつつ22:00ごろに目をさますと、列車が駅に到着していた。いっしょにエメリビルで降りるはずだったバールの席が空になっている。荷物もない。焦って到着したかとおもったが、どうやらそうではない。バールの席は空のまま、ふたたび列車が走りだした。いまどこにいるかさっぱりわからないが、どうやらリノという街のようだ。ラスベガスに次ぐカジノの街で、ここからエメリビルまでは6時間だ。6時間。。。長い。。

列車の外はひたすら闇。なにやら山を越えている様子で、よく揺れる。明るければ景色のいいところらしいのだが、まったくわからん。寝たり起きたりを繰り返す。サンフランシスコはやくこいこい!

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夜中の3時頃になって、街らしき感じがでてきた。あともう少しで終点だ。乗務員さんがやってきて、ゆきさきを書いたカードをはずしていってくれた。もうすぐだ!

そして、ようやくエメリビル駅に到着。時間は4:30。予定より12時間遅れだ。最後は疲れたけれど、64時間のカリフォルニアゼファーの旅はとてもよかった。でも、乗る予定のひとは時間にルーズに予定をたててね。

投稿者 osa : 21:48 | コメント (3)

2007年03月25日

な、なんか遅れてる?

夜寝ているうちにソルトレイクをすぎたようだ。きょうの夕方16:00にはサンフランシスコだ。朝から外の風景はひたすら荒野。

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ほんまにひたすら荒野。しかし、たまに民家があるし、ちゃんと電線が引かれている。こんなひろい国のインフラを整備して維持していくのは気が遠くなるくらい大変そうだが、なされている。さすが文明国。

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周囲になにもない直線なのにもかかわらず、どうも列車の速度が遅い。のろのろ走る。しかも、たまに荒野の真ん中で小停止をする。そんな感じで昼頃まで荒野を走っていると、とうとう止まったまま動かなくなった。しばらくして、車内アナウンスが入った。よくわからないが、エンジンが壊れた、とか、バスがくる、とかいってる。

あらまー、とおもっていると、斜め前に座ってたひとと目があった。なんでも、エンジンが壊れてしまったので、代替バスがくるとアナウンスがいってたと教えてくれた。彼はデンバーからのってきたひとで、話してみると、名前はバールというそうだ。インド系イギリス人の大学生で、彼もまた旅行中らしい。いかにもノーベル賞のひとつやふたつとれそうな感じの賢そうな顔をしている。サンフランシスコにいくねんけど、このまま遅れたらユースホステルのチェックアウト遅くなるなあとか話すと、なんと彼が電話して確認してくれた。ほかにも、サンフランシスコ情報をいろいろ教えてくれた。親切なナイスガイだ。

しばらくすると、お詫びなのかどうか、食堂車で昼ご飯をタダでごちそうします。というアナウンスがあった。英語アナウンスが聞き取れてなかったキムさんに知らせていっしょにいくと、ハンバーガーがでてきた。おいしい。

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キムさんは、列車が遅れてることにかなりキレてた。たしかに、われわれ東アジア的価値観からいうと、故障だとかこの遅れ具合は考えられない。今回は何の予定もない気ままな旅なので、ボクはどっちかというとこの状況が楽しかったが、いつもは通勤電車が3分遅れるだけでムカムカしてるのをおもいだした。日本の鉄道は優秀なのだなあ。

しばらくすると、またアナウンスがあった。エンジンが直ったとかなんとかいってる。客席がイヤッホーと盛りあがる。よく聞き取れなかったのでバールに聞くと、エンジンが直ったので、バスはやめてこのまま電車でいきます。というアナウンスだったそうだ。バスは乗り心地悪いから、よかったぜ!と、彼も喜んでる。

結局4時間ほど停車した後、修理が終わったのか、列車は動きだした。当然、サンフランシスコ到着時刻16:00を越えても、つく気配はない。キムさんが熱心にタイムテーブルをのぞいていたので、みせてもらうと、えらく遅れてる。どうも10時間は遅れそうな気配だ。

また夜が訪れる。きょうはずっとこんな荒野な景色だった。

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夜、ふたたび、遅れてるお詫び(?)のタダ夕食がでた。ビーフシチューとパンだ。おいしい。

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印象的なのは、こんなに遅れていても、だれも怒っている様子がないことだ。キムさん以外は。アメリカのひとはおおらかなのか、列車はこういうもんだとおもっているのか、旅人がおおいからなのか、よくわからない。日本の列車とはちょっと違う感じの時間が流れている気がした。

投稿者 osa : 22:03 | コメント (3)

食堂車

なおも列車は走り続ける。山をくだり終え、外の景色はだだっぴろい荒野がつづく。

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夕刻、食堂車からアナウンスがある。

これから夕食の注文をとりにゆきます。希望するひとは呼んでね

ほどなく、でっかい黒人のおっちゃんがやってきた。手をあげて、食堂車にいきたい時間をリクエストする。すると、

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のようなメモを書いて渡してくれる。時間帯と、なんかよくわからない番号が書いてある。ボクは18:00を希望した。

時間がくると、

18:00の分が用意できたのできてください。

とアナウンスがある。いろんな国のひとがいるためか、この食堂車アナウンスはとてもわかりやすい。さんざん英語をしゃべったあと、最後に念押しのように

シックスピーエム。ディナー。サンキュー。

といってくれるのだ。これを聞き逃すことはまずない。すばらしい配慮だとおもった。

食堂車にいき、さきほどの券を渡すと、席に案内される。食堂車は基本的に相席だ。狭いながらも、きれいなテーブルクロスがひかれ、いい雰囲気だ。大陸鉄道が華やかだったころの伝統があるのだろうか、とかおもった。写真は昼間にとったもの。この夕食時はあまり外の風景はわからなかった。

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席にはすでに、上品な感じのおばあさんと、高校生くらいの女の子がすわっていた。どちらも白人で、アメリカ人だそうで、英語がメチャはやい。ぜんぜんついてゆけん。おばあさんはサクラメントにいる親戚を訪ねるために、女の子はサンフランシスコにゆくために列車にのっているという。

アメリカのひとは、相手が見知らぬひとであっても、いや、なおさら、会話を楽しもうとする。ボクの英語はかなり不自由だが、そんなことは承知でいろいろ話しかけてくれる。旅はひとをおおらかにするせいか、ふたりともとてもやさしい。ボクがしどろもどろながら料理を注文し終えると、ふたり口をそろえて

すごいじゃない!ちゃんと注文できたわ

うーむ。子供扱いやな・・・・

ほどなく、注文した料理がきた。ビーフカツレツにライスをつけあわせたもので、12$。お味はそこそこ。

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楽しく会話しつつ、というか、こっちはほとんど聞くだけだったけど、食べる。こんときほど、英語もっとできればよかったとおもったことはない。つぎはもうちょっと英語できるようになろう。

食べ終わってもどる途中、朝あった韓国人のキムさんが展望車にいた。約束してたワインでもどうでしょう?というので、いただくことにした。いろいろつまみも持参していて、おいしくいただく。彼は寡黙な感じで、もくもくと、ちびちびとワインを飲む。サンフランシスコについたら、一泊して、次の朝にロサンゼルスいきの列車に乗るという。泊まるところは決まってないらしく、ボクが予約してたユースホステルにいこうかなあということになった。んで、サンフランシスコについたら一杯やろうということになった。

ワインでほろ酔いになりつつ、席にもどる。本など読みつつ、眠くなったので寝た。明日はいよいよサンフランシスコだ。

投稿者 osa : 17:37 | コメント (0)

2007年03月21日

山越え

みるみるまに、列車は山をかけのぼる。雄大な景色が一面に広がる。

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せっかくの絶景なので、展望車両にいってみた。ここは、そとの景色がみやすいように窓がひろく、座席は外に向かって設置されている。乗客ならだれでもここにきて、景色を楽しむことができるのだ。ペプシを飲みながら外を眺める。まわりのひともおもいおもいに景色を楽しんだり、そっちのけにおしゃべりを楽しむ。ボクのほかに、新婚旅行らしき日本人のひとがいた。

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谷の中、川沿いぎりぎりを列車は走る。

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ここで、おなじく展望車両にいた東洋系の40〜50代の男性から写真をとってくれと頼まれた。パシャっととってさしあげる。ボクと同じカメラを使っていた。おそるべしメイドインジャパン。

英語でどこからきたんっすか?と聞いたみたら、韓国からきたという。この旅ではいたるところで韓国のひとにであった。さらにご旅行ですか?とか聞いてみたところ、どうも通じない。どうやら、彼は英語がまったくできないようだ。ボクがいうのもなんだが、ほんとにまったく通じない。しかし、片言の日本語ならできる、といって、いかにも韓国なまりの日本語で断片的に会話した。

彼もアメリカをぐるぐるまわる旅をしているらしい。普段は貿易会社につとめているが、旅が好きなんだそうだ。今回は1ヶ月前からアトランタを出発して、ワシントン、シカゴときて、鉄道でぐるっと大陸をまわり、ふたたびアトランタにもどるという。とても壮大な旅だ。すばらしい。しかし、その英語力でよく勇気があるなあと、皮肉ではなく、本心でおもた。

すっかり仲良くなった。あとでいっしょにワインでも飲みましょうと約束した後、しばらく雑談したあと、席に戻った。あいかわらず外はいい景色だ。山を登りきって、こんどは徐々にくだってゆく。

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そんな絶景が一日中続く。さすがに感動も薄れてきた夕刻、グレンウッドスプリングに到着した。

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ここはガイドブックによると温泉街で、アメリカ1の温水プールがあるという。日本でいう熱海みたいなものか。おりてゆくひともおおい。山に囲まれた中の、あったかいオアシスだ。のどかなところだった。

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そういえば、シカゴのユースホステルでであった、ヤンさんがここはよかった!っていってた。いまから考えるとここで下車して一泊してもよかったかも。

投稿者 osa : 19:27 | コメント (3)

デンバー

早朝、デンバーについた。まだ暗い。時計を中部時間にセットした。

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デンバーはアメリカ中部の大都市だ。ここから乗ってくるひとがけっこうおおい。ゼファー号は2時間ほど停車する。おなかもへったので、シカゴで買っておいたローストビーフサンドをたべる。んまい。もごもご。たべてばっかやな。。

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退屈なので列車から降りてみる。雪が積もってて寒いこと。

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外があかるくなるころ、ふたたび列車は出発した。

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大都市とかいいつつ、10分も走れば風景はガラッと大自然に。うすく雪が積もっている。

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そして、なにやら山に登り始めた。どうやらカリフォルニアゼファーの見せ場であるロッキー越えが始まった。

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投稿者 osa : 18:59 | コメント (0)

2007年03月18日

デンバーまで

シカゴは摩天楼がそびえる大都会だが、電車で30分もすぎればアメリカ的田舎な風景が広がる。

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となりの席にはカップルが座っていたが、シカゴから3時間ほどして到着した駅で降りていった。長距離鉄道といっても、生活の足として使うひとだっている。しかし、その駅は非常な田舎町で、シカゴとのギャップがはげしい。あのふたりにどんなドラマがあるのだろうかとアレコレ考えてしまう。

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シカゴからデンバーまでの間には、ときおり小さな町がみえるほかは、ひたすら農場と荒野がひろがる、なにもない景色がつづく。でも、そのなにもなさがいかにもアメリカの田舎風景といった感じでイイ。ホントの意味でぼんやりできる。

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そんなぐあいにぼーっとしていると、徐々に日がくれてきた。どこまでもつづくひろい大地が夕日をうける。たいへんうつくしい。

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かとおもえば、暗くなるのはあっというまだ。おなかが減ったので、駅で買ったチキンサンドを食べる。とてもおいしい。ピクルスがかってみたことがないほど巨大だ。

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夜はシートごとにある車内灯をつけて、サンフランシスコでの予定を考えたり、本を読んだりした。まわりの乗客もおもいおもいに時をすごしている。22:00ごろともなると、みんな寝る。ボクも寝た。デンバーの到着は翌朝だ。

列車はスゴい速さで夜の荒野をかける。・・・・というか、日本ではありえないくらいの揺れだ。これだけ揺れつつスピードだしまくってるので、ほんまに脱線するんではないかと、ちょっとドキドキした。

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2007年03月17日

カリフォルニアゼファー内の風景

列車が出発してほどなくすると、さっきまでホームにいた乗務員さんがチケットの確認にやってきた。アムトラックでは、乗車後に乗務員さんがチケットを確認し、行き先をメモ紙に書き、それをシートの上にはさむ。これで、自分の席が確定するしくみだ。

ボクのゆき先は終点emeryville。紙にはEMYと書かれる。乗務員さんが去ったあと、ほかの乗客のシートをみてみたら、あんがいEMY行きはそんなにおおくない。シカゴからサンフランシスコまで、飛行機にものらず鉄道でいくのは、まあものずきなひとだけなんだろう。

カリフォルニアゼファーは長距離列車だけあって、長旅のためのいろいろな設備がある。寝台、乗り心地のイイシート、展望車両、食堂、売店、トイレなどだ。

ボクは寝台ではなくコーチ(座席)に乗ったが、シートはとにかく広い。飛行機のファーストクラス並みにある。らしい。ボクはファーストクラスに乗ったことないからわからんけど。足をのばしても前の席に届かないほどだ。ボクの足が短いという説もあるが。リクライニングシートはもちろん、足をおくための台や、ふとももをおく台が可変になっていて、これらをぜんぶひろげるとかんたんなベッドになる。十分心地よい。ただし、毛布などはないので、自分で用意するか、厚着するかする必要がある。

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トイレは1階にあり、水回りはひととおり完備してる。朝はここで顔を洗ったりヒゲを剃ったりした。ただし、シャワーはない。寝台にはあるらしいが、貧乏コーチ席にはない。こればっかりはガマンなり。冬だし、まあ無問題。

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しばらくして、売店にいってみた。展望車両の1階にあり、飲み物やスナック、軽食を売っている。ちょっと高い。ペプシコーラを買うと、缶ペプシといっしょに氷入りのコップをくれる。$1.75。

シートを倒し、ペプシを飲みつつ、外の景色をぼーっとながめたり、もってきた本を読んだりする。こないだまで仕事に追われていたのが夢のようにおもえてきた。座り心地もいいことだし、食べ物も飲み物も完備してるし(チョット高いけど)、なんかこのままずーっと乗っていたくなる。あと、ネットにつながったパソコンさえあれば仕事でもなんでもできそうだ。。ちなみに、カリフォルニアにはwifiつき列車が登場したらしい。

投稿者 osa : 23:13 | コメント (0)

出発!

列車の車体はやたらと長く、どこから乗ればいいのかさっぱりわからない。ホームに中年の赤毛の白人女性の乗務員さんがいたので尋ねてみた。といっても、乗車券をみせて「この入り口でオーケ−?」と聞くだけだ。そうすると入り口を教えてくれたので、そこから乗車した。

すでに書いたように、座る場所ははやいモノがちできまる。はいってすぐのところにある、1階の席があいてたので座った。しばらくすると、もうひとり近くに座った。シートなど調整してくつろぎ体勢にはいった。しかし、それ以上誰もこない。。まてどもこない。そうすると、さきほどの乗務員さんがきて、あんたらのチケットは2階席だという。もうひとりの乗客のひとと顔をみあわせ、おたがいばつの悪い愛想笑いをしながら、階段を登った。

車内はそこそこ埋まっていた。といっても、2人席を1人で座っても余裕がある。

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朝からなにもたべておらずおなかがへっていたので、駅で買ったツナサラダを開けた。

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日本のツナサラダというとたくさんの野菜のうえに申し訳程度にツナがちょこっとのっているものだが、このツナサラダは山盛りのツナのしたにレタスが一枚敷いてあるだけだ。日本的な概念でいうと、ツナサラダというよりはただのツナだ。といっても、このツナに細かく刻んだ野菜やら香味などが練り込まれていて、とてもおいしい。

もごもごとサラダを食べていると、ほぼ定刻通り13時40分ごろに、電車が動きだした。駅舎を抜けだし、うすく雪をかぶったシカゴの街をすぎてゆく。

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こうして64時間におよぶカリフォルニアゼファーの旅がはじまった。

投稿者 osa : 20:47 | コメント (1504)

2007年03月04日

シカゴユニオンステーション

滞在していたシカゴユースホステルを正午頃出た。ユースホステルからユニオンステーションまでは歩いて20分ほどだ。

歩道には前日までなかった雪が積もっている。粉雪も降っていて寒い。日本からもってきたニット帽をかぶって駅まであるく。どこのアメリカの都市でもそうであるように、シカゴの街は碁盤の目状に区画整理されている。だから通りの名前を把握しておけば道に迷うことはない。・・・が、迷った。通りを行ったり来たりするはめになった。

ほどなくシカゴユニオンステーションについた。駅は巨大な建物で、日本的な理解のままだと駅だと気づかない。ドアをあけてすぐのところにあった階段は、映画「ゴッドファーザー」でベビーカーが落ちていった有名なシーンの撮影されたところだ。ちょっとドキドキしながらおりていく。おもったよりも幅が狭い。

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このシカゴ駅、鉄道全盛時代にはアメリカ各地を結ぶ拠点だった歴史があるためか、とても立派で威厳のある建物だ。とても広い待ち合わせ所には巨大な国旗が掲げられ、ここがかつてアメリカ交通の中心であったことを誇っている。

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待ち合わせ所から西側に、チケットカウンターやプラットホーム、売店や飲食街がある。quik-trakでチケットを発券し、売店に向かう。ウエブにある各種旅行記によると、列車内の売店や食堂は価格が高いということで一致していた。なので、乗車前に食べ物などを買っておきたかった。

駅構内にはマクドナルドやピザハットといった定番のファーストフードや、カフェ、レストラン、パン屋、フードコート、売店などがそろっていた。ボクはパン屋でローストサンド、チキンサンド、ツナサラダ、売店でコーラと水を買っておいた。飲み物は多めに買っておいたほうがいい。ただし、駅構内の物価もまた安くない。

駅構内はすこしわかりづらい構造になっているが、電光掲示板と案内板をよくみれば迷うほどのものではない。出発まで1時間ほどあったけれど、カリフォルニアゼファーの乗り場にはすでに20人ほどの列ができていたので、ボクも並んでおくことにした。どの席に座るかははやいもの勝ちなのだ。とはいえ、座れないことはないし、たいていガラガラなので横に誰かが座ることもまずない。

アムトラックの駅での乗車は、日本のようにプラットフォームからの乗車とはことなり、飛行機のターミナルのそれに似ている。プラットホームへ続くドアがあり、その前に行列ができているのだ。このドアは出発10分ほど前に開く。列を見回してみると、大きな荷物をかかえたひとばかりだ。おもっていたより若いひとがおおい。日本人らしきひとはここでは見当たらなかった。そもそも東洋系のひともみかけなかった。

時間がきてドアが開く。ドアのそばにいる係の人にチケットを切ってもらう。チケットの左上に署名をする欄があり、あらかじめここに名前を書いておかなくてはならない。署名はアルファベットでいいはずだが、漢字で署名をするとちょっと得意げな気分になれる(?)ので、いつもボクは日本式にしている。ドアはプラットフォームにプラットフォームに続いており、列をなして電車に向かう。電車デカイ!

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いよいよ乗車だ!

投稿者 osa : 20:15 | コメント (12173)

2007年03月03日

カリフォルニアゼファーの乗車券を買う

カリフォルニアゼファーを運営しているのは、アムトラックという鉄道会社だ。乗車するには、当然ながら、ここから乗車券を買う必要がある。

乗車券は、2日前にアムトラックのウエブサイトから購入した。ちなみに、ネットへはワシントンDCにあるユースホステルにあったネット端末からアクセスした。難しいことは特になく、ウエブサイトを開くとでてくる項目を埋めていくだけだ。クレジットカードをもっていれば、日本から購入することもできる。シカゴからサンフランシスコまで143$だった。

ウエブでの購入が終わると、チケットは駅で受けとる。大きな駅にはquik-trakいうでかい自動販売機があり、ここにクレジットカードを差し込むと印刷したチケットを発券してくれる。ボクはシカゴでこれを利用した。大変便利だ。しかし、駅によってはこの自動販売機がない。そのときは駅のチケットカウンタで、ウエブで購入したさいに表示される発券番号を提示するとよい。quik-trakが駅にあるかどうかはアムトラックのウエブで調べることができる。

注意したいのは、よく、カリフォルニアゼファーはシカゴとサンフランシスコを結んでいると便宜的に説明されるが、サンフランシスコ駅があるわけではないということだ。実際はシカゴとエメリービルという駅を結んでいる。終点エメリービルからは、アムトラックが運営しているバスがサンフランシスコ市内まで乗せていってくれる。だから、ウエブで目的地を「san fransisco」と入力すると候補がたくさんでてくるが、実はこれらはバス降り場なのだ。

投稿者 osa : 22:45 | コメント (1954)

カリフォルニアゼファー

カリフォルニアゼファーはシカゴとサンフランシスコを結ぶ長距離列車だ。「カリフォルニアのそよ風」という意味をもつ。

wikipediaによるとこの列車は1948年に登場したそうだ。それ以前に前身として、1869年にはおなじ経路をつなぐ路線が開通していた。日本でいうと明治2年のことだ。このとき、サンフランシスコの人口は急増のまっただなかで、大陸横断鉄道の登場はこれにたいして大きな意味を持った。

いまはそういう役割をもたない。航空機や自動車の発達によって、アメリカにおいて鉄道の重要性は高くない。とくにカリフォルニアゼファーのような大陸横断鉄道は、実用よりも観光のためといった色彩が濃い。

カリフォルニアディズニーランドにある土産物屋のひとつに、古いカリフォルニアゼファーの車体を改造して店舗としたものがあった。この土産物屋は「古き良き懐かしいアメリカ」のイメージで構成されていて、カリフォルニアゼファーはその象徴的な役割を果たしているようだった。ボクのような日本人にはわかりにくいが、アメリカのひとにとって「カリフォルニアゼファー」というコトバにはそんな響きが含まれているのだろう。

そんなカリフォルニアゼファーに乗ってきた。乗客たちは誰も急ぎの用事などもっておらず、列車内の雰囲気はその名前が示すようにそよ風のような気分が満ちていた。

投稿者 osa : 22:04 | コメント (798)