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2005年01月08日

re : コラボレーションを考える

nintendo-insideコラボレーションを考えるという記事があった。とても興味深い内容だ。

昔はゲームにおいてこういったコラボレーションは少なかったと記憶している。でも、最近増えてきた。これはなぜだろうか?こういったコラボレーションをしないで、独自のキャラクターをもちいた独自製品を独自に開発した方があたったときは大きな収益が見込めるに決まっている。が、昔と違って近頃はそんなあたりが発生しにくいから、すでに人気のあるキャラクタを使って堅実に・・ということになっているのかもしれない。

キャラクタビジネスはひとたびあたれば濡れ手にあわだ。そういったキャラクタを手にした企業は、そこからたくさん利益をあげることができる。たとえば、任天堂のマリオ・ポケモン、ディズニーのミッキー、セガのソニック、ABCのドラえもん、サンリオのキティちゃんなどなど。

長期的にご利益を受けるために重要なのは、キャラクタのブランド維持であることは異論はないだろう。で、ボクがよくわかってないのは、キャラクタビジネスにおけるブランドの維持は、たとえば服とかバッグとか車とかのそれと違うかどうかということだ。つまり、一般的に服やバッグや車のブランド感は、出荷を小出しにすることで維持される。街なかにそのブランドが氾濫するようではありがたみがなくなるからだ。ディズニーなんかはこういった感じに近いんじゃないかとおもうのだが、どうもキャラクタに関しては必ずしもそうではないのではないかと最近迷っているのだ。

ここでボクの頭の中で浮かんでいるのは、サンリオのキティちゃんだ。近頃のキティの氾濫具合はものすごい。10年ほど前までは、よくいるキャラクタのひとつで、サンリオのキャラクタ群の中でもそんなに突出したキャラクタではなかったはずだ。が、90年代後半からすごい勢いであちこちに氾濫してきたのだ。たぶんこれを読んでる人も、高速道路のインターをおりるたびに違う種類のご当地キティちゃんを見かけたりしているだろう。これは短期的には、投機好きで年度によって利益が大きく変動することで有名なサンリオの経営を安定させるための収益確保の多角化の一種だったのだろうけど(想像)、長期的にはいつのまにやらハローキティのブランドは確たるものになっている。なにせ海外でもポップアートの素材になってしまうほどだ。

というわけで、キャラクタビジネスにおいてはひたすらキャラクタを氾濫させるというのも、ひょっとしたら有効な手法かもしれないとかおもったりするのだ。キティちゃんとマリオは主戦場もターゲットも違うので、前提を無視してこういう結論にもっていってもあんまり意味はないんだけどね。。

といったことをとりあげたのは、2chのマリオ地獄スレが気になっていたからでもある(中身はともかく、このタイトルはセンスがあるなあ)。。近頃のマリオの大活躍(謎)にたいして、あんまりゲームしない人や、コアなゲームファンはどうおもってるんだろう?というのがとても気になっているのだ。

投稿者 osa : 2005年01月08日 23:17

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