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2005年01月06日

国語力低下?

「国語力」半世紀ぶりに全国調査。この記事にはないが、新聞には最近の日本人の国語力低下疑惑を受けてのものらしい。国語力が低下しようとも、英語力や中国語力が向上していれば問題ないのだけども、そんなことは聞いたことがないので、たぶん言語力が落ちてきてるのだろう。

日本人の識字率はもうすでに100%ではないだろう。識字率といっても、自分の名前だけ書ければOKというところもあるらしい(ほんとかは知らないけど)が、新聞や国語の教科書を読める程度を想定するならば、意味を取れない人も結構いるはずだ。といって断定してみたものの、典拠は学生時代の学習塾のアルバイトのときの経験くらいで、いささかおぼつかないものだけど。

塾でのアルバイトではおもに、理系科目を教えていた。いっけん国語とは関係なさそうだが、そういった科目でも問題は国語で文章で記述されているのだ。まずもって問題の意味する内容から説明するときは、ほんとうに冷や汗ものだ。そのときは、いったいどんな国語教育してるんだろうとなんどもおもった。塾長先生と飲んでいて、こうした話題になったとき「もう識字率は100%じゃないんじゃないか」とかいう結論になった記憶がある。

ボクには国語センスがない。英語センスもないけけど。もう絶望的なほどにない。それでも、いちおう新聞くらいは読めるのは、普段から本を読んでいるからだろう。よく本を読むねと、よくいわれるが、ほんとうはイヤでイヤで仕方ないのだけども、もう無理矢理読んでるのだ。通勤時間が短縮されたら読書時間は劇的に減るだろう。

関係ないけど、ボクがブログとか日記とかやたら書くのも同様の理由だ。もう絶望的なほどに文章センスがないし、書くのがイヤでイヤで仕方ないのだけども、すこしでも改善のためにもう無理矢理書いてるのだ。そんな幼稚園の砂場ブログにつきあってくれてる人には大感謝(謎)。

で、経験的に僕らより上の世代、親の世代はたしかによく本を読んでいる。本を読む量が減り、国語力が低下してきたというのはたぶん事実だろう。では、なぜ本を読む量が減ったのか?それは本を読む必要がなくなったからだろう。では、なぜ本を読む必要がなくなったのか?

といったことを取り上げたのは、ちょうど最近マクルーハンに関する本を読んでいるからだ(最後まで読む自信ないけど)。マクルーハンを説明しようとすると大変だし、そもそも説明するほどの知識はボクにはないのだけど、メディアに関していろいろ論じた人だ。彼はテレビ時代の到来により、グーテンベルグ以来の書物文化、いわゆる「グーテンベルグの銀河系」が衰えていくことを論じているのだ。その文脈に従うと、もう本やそれに代表される活字文化はもう役割を終えたということになる。国語研究所の調査など、もはや断末魔の叫びにすぎないともいえる。

いまの子供たちにとっては、たぶんもう活字から情報を得る必要がないのかもしれない。国語力がなくなっていたとしても、それが知性や感性の衰退にはかならずしもつながらないかもしれないし、ひょっとしたら新しいなにかが想像されるかもしれない。とかんがえると、そう悲観することもない。でも、そんな未来にはまだちょっと早い気もする。。

投稿者 osa : 2005年01月06日 22:19

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