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2005年01月15日

偉大な都市

今日は京都市内に買い物に行った。目当ての品があり、ネットであらかじめ店の場所をしらべて出かけたのだけど、地図をメモった紙を忘れてしまったので結局たどりつけなかった。雨も降ってたし、なにをしにいったんだか・・。

だいたい1時間30分は歩いただろうか。北大路駅で降りて、西に歩いて千本通りまでいき、すこし戻って新大宮商店街を北上し、北山付近で東に折れて堀川通りにあたったあたりであきらめた。目当てはここだったんだけど、地図見てもわからなかったかもしれない。最後は下島田町とかいうバス停から市バスに乗って京都駅に戻った。

散々だったとはいえ、洛中を歩くのは楽しいものだ。観光地から外れた商店街のなかに迷い込んだが、とても活気があった。シャッターをおろしたままの店がめだつ地方都市の商店街とは大違いだ。これは京都の購買力の強さと、大規模店舗の新規参入のしにくさが既存の店舗を守っているからだろう。また、京都には観光客が多く訪れる上に、おおきな企業の本社や、大学も数多い。1000年の間首都であったことの貯金と利子はいまも大きく京都を潤しているようだ。

産業や文化は消費力の巨大なところでさかえる。消費力が強いとそれを満たすための雇用や事業が興り、それにともなって人が集まってくるからだ。たとえばボクの祖父は京都で湯葉を作ってたそうだし、父は若い頃京都で呉服をうってたらしい。今、ボクも京都のかるた屋さんで働いている(謎)ことを考えると、我が家は代々京都の巨大な消費とそこからうまれた産業にのっかかって生活しているのだ。

これから流通や通信が改善されるとこうしたことはなくなるだろうか?つまり、流通や通信が改善されると、かならずしも消費地と生産地は隣接しなくても良くなるので、地域の産業はどこか遠くの同業者にやられてしまうという、いま全国の地方都市でおこっていることが京都にもおこったりするのだろうか?京都が京都ならではの価値観を提供し続ければ、そんなことはおこらないだろうし、今それはうまくいっているように見える。地方都市にいくとどこも小型東京みたいな都市計画がおこなわれていて、なんだか訪れるとがっかりすることがよくあるのだけど、京都はそうならないでほしいものだ。

投稿者 osa : 2005年01月15日 21:19

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